輪廻
やっと暖かくなってきたな。
俺は、ぼんやりそう思いながら車を走らせ、いつもの公園の駐車場に入った。
隣の車が寄っているので、センターに入らねえなと思いつつバックして車を止めた。
ドアが当たらないように注意して車から降りる。
いつもより人の数が多い。
観光バスが来ているんだろう。
俺は首にカメラをかけて、何を撮るアテもなく公園内をブラつくことにした。
何かないかなと探しながら歩いていたが、公園は春の嵐が吹き荒れていた。
梅の花が舞い散り綺麗だったので、そっちを眺めていた。
その時だ、何かが飛んできて顔に当たった。
うわっ!何だこれは!ちょっとパニックになりながら、顔からゴミらしきものを引きはがすと諭吉だった。
諭吉は泥だらけで一冬雪の中で過ごしたような顔をしていて、怒っているような気がした。
水を含んだ泥まみれの1万円札だった。
春の嵐とはいえ、けっこう重かったので、なぜこんなものが?と異様に感じた。
俺は顔が汚れたので、トイレに行き顔を洗いながら、警察に届けようか考えた。
しかし、財布に入っていたわけでもないし、持ち主は分からないだろうなとも思った。
もらおうかな、神様からのプレゼントだ。
俺はそう直観的に思って破らないように慎重に水道で諭吉を洗った。
諭吉は泥がとれると普段の顔に戻った気がしたが、端っこに何か小さな赤い字が書いてあるのに気がついた。
王
うん?おうって読むのかな?
まあ、どうでもいいや。とりあえず乾かすか。
俺はトイレを出ると喫煙所に向かった。
喫煙所でタバコを吸いながら、濡れて綺麗になった諭吉を柱に張り付けて乾くのを眺めていたら、観光客のオッサンが歩いてやってきた。
「ここはタバコ吸える場所ここしかないん?」オッサンはいきなり話しかけてきた。
「ええ、ここってごみ箱も無いんだよね。」俺はそう答えながらオッサンが諭吉に気付かないか心配だった。
「ああ、ちょっと火貸してもらえる?まだ集合時間まで30分もあるんや。前に一度来たことあるから退屈でな。」オッサンは聞いてもいないことを話し始めた。
どうも観光客っぽい。
俺はライターを渡すとどこから来たんですか?と知りたくないけど聞いてみた。
「ああ、奈良や。しかし、今はどこに行ってもタバコ吸うのが難儀やなあ。」
オッサンがライターを返して1分もしないうちにツアコンが集合時間でーすと言いながら、こっちに向かってきた。
オッサンはタバコを慌てて消すと足早に立ち去って行った。
俺が諭吉に目をやると半分はがれて落ちそうになっていた。相変わらず風が強い。
俺は慌てて諭吉を喫煙所の柱からはがして、車へと向かった。
ちょっと生渇きだな。
仕方なかったのでエアコンで暖房全開にして諭吉を車のフロントガラスに張り付けた。
腹が減った。
俺は久しぶりに焼き肉でも食おうと思って神様に感謝しながら、牛角へと向かった。
俺は公園を出て国道に向かって車を走らせた。
国道に出て信号待ちで止まっていたら、後ろからキーッというスキール音がしたと思った瞬間、大型トラックにおかまを掘られた。とんでもない衝撃だった。
なぜかエアバッグが作動せずに俺の頭はフロントガラスに突っ込みそうになったが、シートベルトのおかげで、助かった。
しかし、良かったあ~と思った瞬間、首に激痛が走った。
どうも、首をやってしまったようだ。
慌てて若い運転手が来たので、俺は痛みに耐えつつ、とりあえず救急車と警察を呼んでくれと頼んだ。
前に車がいなかったのは幸いだったが、車は大破して自走できないくらい壊れていた。
俺は諭吉をフロントガラスからはがすと、たたんで胸のポケットにしまった。
公園で諭吉さえ拾わなければ、こんな事故には会わなかったと思いつつ、痛みに耐えていたが救急車はなかなか来なかった。
タイミング悪すぎるわと俺は思った。絶対に諭吉のせいだ。
若い運転手は、顔が青ざめてすいませんを連発していたが、俺は首が痛くてそれどころではなかった。
大渋滞が起きる中、俺はJAFと保険屋に電話したが、首が横に曲がらないので苦痛だった。
痛いけど、ひどく頭の中は冷めていた。10対0か。まあ、損はしないな。
医者に行ってレントゲン撮ってもらわにゃ。
あとは保険屋同士の話だ。
救急車よりも先に警察が来たので、俺は状況を説明して、路肩に座り込んだ。
調書はとれたようだった。
30分後にやっと救急車が来た。俺は救急隊員に首が痛くて動かせないと言って、病院に送ってもらった。
医者でレントゲンを撮ると軽度のむち打ちだったが、なぜか肩も痛くなってきたので、尋ねるとシートベルトのせいで鎖骨が折れていたようだ。
「どうします?入院しますか?」と医者が聞いてきた。
俺は当然入院だと思っていたので驚いた。えっ?
「相部屋になっちゃうけど、いいかなあ?首はギブスで固定します。鎖骨は折れてるけど、ひびが入った程度なんで大したことないから固定しとけば治ります。」
といやに簡単な診察結果だったが、俺はそうしますとだけ答えた。
看護師の処置が終わって、俺はやっとゆっくりできるなあと胸をなでおろした。
いい加減、腹が減ったので病院の売店で菓子パンを買って食べたが、タダで焼き肉なんか食おうと思わなかったら、こんな目には合わなかったと死ぬほど後悔した。
痛み止めをもらって飲んだら、少しは楽になったがまだ、ちょっと痛んだ。
入院の手続きをしようと思ったら保証人が要るとのことだったので、慌てて親戚の叔父さんに電話して病院に来てもらった。
叔父さんは、急に呼び出されたうえにぜんぜん心配してなくて、死ねばよかったのにというような、ひどく冷ややかな目で俺を見ていたが、保険に入ってるからあとでカネは返すと言うと保証人には、なってもらえた。
看護師に案内されて、やっとベッドに入れるなと思って安心し始めたら、無性にタバコが吸いたくなってきたが、病院は禁煙なので諦めて寝ることにした。
目を閉じると5分もしないうちに俺は眠りに落ちた。
その晩俺は夢を見た。
「これで終わると思うなよ。ふふふっふ」そう諭吉だった。
ひどく耳障りな声でベッドで寝ている俺を天井から見下ろして笑いながら、ゆっくりしゃべってた。
俺はびっくりして目を覚ますと汗でTシャツが濡れていた。
怖ええ、首が痛てえな....
これで終わりじゃない......俺は恐怖を感じたが、腕時計を見るとまだ、午前4時だった。
ハンガーにかけたネルシャツのポケットを探ってみると諭吉がまだそこにいた。
それから先は眠れなくてタバコの禁断症状が出て、外に出て喫煙所を探したが、病院内にはないようだった。
俺はナースステーションで病院が開く時間を聞くとベッドに戻ったが、ぜんぜん眠れなかった。
寒かったが朝の太陽がまぶしいくらいいい天気だった。
顔を洗い朝食をとって、痛み止めを飲み、ベッドでぼんやりしていると保険屋から電話が入った。
車は廃車だったようだ。
保険屋は10-0だったから慰謝料代わりに新車が買えると言って、打ち合わせの時間が決まったらまた連絡すると言って電話を切った。
午前中にはオカマを掘った運転手も菓子折りを持って見舞いに来た。
でも、怒りの感情はなぜかなかったので、1週間もすれば治ると思うから心配しないでいいよ、あとは保険屋に任せるわと答え、ひたすら謝る運転手には早々に帰ってもらった。
首はまだ痛かったし、右の肩も腕を動かすと痛かったのだ。
やっとタバコが吸えると思って、俺は外に出た。
半日以上禁煙したので、やたら美味く感じた。
2本目のタバコを吸いながらあたりを見まわすと、ちょっと離れた場所にパチンコ屋があった。
さすがに今日は行けないやと思って、病室に戻ってベッドに座った。
財布には3000円しかなかった。
俺はフリーランスのライター兼カメラマン兼エディターと自称はしているが、仕事が無いので実際のところはパチンカスだ。
もちろんスロッターでもある。
自分のWEBサイトは持っているがクライアントなんて滅多に現れないから、どちらが本業なのか分からない。もちろん営業もしているのだが。
昨日はたまたま写真を撮りに公園に行ったが、普段は撮影の予定が無ければ、10時前からパチンコ屋で並んでいるのが俺の日常だ。
日当は大当たりが無い限り、昔と比べて不景気で出も悪いから8000円買った時点でやめるようにしている。すぐにケツが痛くなるのもあるけど。
叔父さんが冷ややかな態度をとるのも無理はない。
きっと30すぎて職も無いような無能なヤツだと軽蔑しているだろう。まっ、いいや。
あまりにやることがなかったので、病院内をうろついた。
俺はじっとしているのが苦手だ。
首も動かせないし肩も痛かったが眠くなかったので、うろうろしていた。
廊下を歩いていたら、暇そうな若い女の看護師を見つけたので少し話をした。
「ねえ、俺さあ、プロのカメラマンなんだけど、モデルを探しててさあ。君、超可愛いからやってみない?スタジオもあるしタダで撮ってあげるよ。もしかしたら有名になれるかもしれないじゃん。どうよ、やってみる?」
そう、いつもの手口だ。
これで相手が乗ってくれば、スタジオと称してホテルに連れ込むのだ。
もちろんその場の雰囲気でヌード撮影まであるが、さすがにヤバいので相手のペースに合わせてる。ただのスナップで終わることもある。
だから今のところ警察沙汰とかはない。
強引なことはしないのが俺の主義だが、上手く口説いてヤルのに成功したこともある。
と言っているそばから車が廃車だったことに気がついた。
首にギブスを巻いた怪しい男に急に話しかけられて、女は驚いていたが悪い気はしなかったらしくて、メアドを交換してくれた。
ちょっと運が向いてきたかなと思いつつ、その日は女からのメールをずっと待ってベッドで過ごした。
午後になって医者にはじっとしてなきゃ治りが遅くなると怒られたが、別に予定があるわけでもない俺だ。
「すんませんでした。おとなしくしときます。」と心にもない言葉で答えた。
でも、ヒマだったから女にメールを送ると返信が来たので、仕事が終わったらまたメールくださいと送り返した。
結局その日の晩はずっと女とメールでやりとりして遊んでた。
消灯時間が過ぎてもずっと遊んでて、寝たのは午前零時ごろだった。
俺は夢を見た。看護師とヤッてる夢だったが、突然女の顔が変わった。
「あんまり調子に乗るなよ、ふふふふ」げー、また出やがった、しつこいな諭吉。
神様なんだろうか?
また、嫌な汗をかき、びっくりして起きると今度は朝の6時だった。
萎えたなと思いつつ朝食をとると痛み止めを飲んでタバコを吸いに外に出た。
わずか1日入院しただけで、マンションに帰りたくなったが、この状態では何もできないので、我慢することにした。
何しろ首が動かないのだ、無理はきかない。
ネルシャツのポケットからたたんだ諭吉を出して、裏表ひっくり返して、じっくり見てみたが、なんら変わりはなかった。赤い字は消えていなかった。
王
しかし何なんだ、これは?意味が分からんなと思いつつ、諭吉をポケットに戻して病室に戻った。
病院はやることがないなと思いつつも、今日はのんびりした。
しかし、顔が動かせないというのは、こんなにも不便なものなのかと感じて、イラついた。
メシも便所も何もかも普段と違って苦痛だった。
夜になって女が日勤が終わったらメールをくれたので、また、消灯時間を過ぎても夢中でやりとりしてて、さすがに眠くなったので寝た。
それから夢は見なかった。
こんな感じで1週間はあっという間に過ぎて、首の痛みも無くなったので、ギブスを外してもらい肩はくっついてなかったが退院することにした。
現金が無かったので病院内にあるATMで残高をみると20万円しかなかった。
何とか入院の費用と治療費と診断書などは、払うことができたが、このままでは家賃が払えるか危うかった。
かかった費用は保険で返ってくるだろうけど、時差があるんで俺は直観的にマズいと思った。
叔父さんに迎えに来てくれと頼んだが、拒否されたので仕方なく歩き出すとパチンコ屋が俺を呼んでいた。
事故のおかげで女とも知り合えたし、ここは運試しだ。
俺は、とりあえずパッキーカード3000円分を購入し、釘が緩そうな台を選んで打ってみると500円で確変を引いて大当たりだった。
結局その日は閉店までいたが、やる台すべてが大当たりという奇跡のような1日で、支払ったカネ以上に儲かってしまった。
その日ずっとパチンコ屋の店員は気味が悪いものを見るような目つきで大当たりを引き続ける俺を見ていた。
俺は近くにあった居酒屋で遅い晩飯にありついて、ひとり祝杯をあげたが、肩が痛かった。
痛み止めを酒で流し込み、久々に大勝ちした高揚感に酔っていた。
タクシーを拾ってマンションにたどり着くと、久しぶりの我が家で落ち着いた。
シャワーを浴びて、ビールを飲みながら、俺にも運が向いてきたなと思いつつ、その日は心地の良い眠りについた。
諭吉の夢は見なかった。
翌日は、昨日の残ったタネ銭でパチスロをやることにした。
とりあえず勝ち運というか、このいい流れに乗ろうと思った。
これは間違いなく諭吉を拾ったからに違いないと悟った俺は、タバコの箱のセロファンに諭吉を挟んでいつものように10時に出勤した。
すると今日も出るわ出るわ過去最高の出方だった。
なんと1日で30万円以上勝ってしまったのだ。
パチンコ屋では、お前なんか使ったろう?とか言われて事務所に連れていかれ、身体検査されたくらいだった。
これでこの店は、もう来れないかもと思ったが、カネも体も何とか無事だった。
今までの俺は何だったのだろう?と感じたが、閉店後、顔見知りが祝儀くれとかメシおごれとかうるさいので、近所の居酒屋で祝勝会だった。
このクズどもめ、どんどん飲めや!テンションは上がりまくりだった。
あまりに気分がいいので飲み過ぎて泥酔したが、肩の痛みは消えなかった。
その後、家までタクシーで帰り、そのまま寝たのだが、夢に諭吉が出てきた。
「こんなもんじゃないぜ、ふふふふふ」鼻がぶつかりそうなくらい近くにいやがる!
現実なのか夢なのか分からないくらい酔って寝ていた俺は、余りに恐ろしくてベッドから落ちてしまった。
落ちたついでに右肩を強打して、あまりの痛さに涙が出た。
まだ午前3時だった。俺は倍の量の痛み止めをビールで流し込み、考えた。
諭吉が福の神なのか悪魔なのか分かんねえが、この流れは止まらないような予感がした。
何をやっても、きっとうまくいくという妙な自信が出てきた。
今度は何にしようと考えたが、考えているうちに明け方睡魔に襲われ眠ってしまった。
さすがに朝は起きられなかったので、パチンコ屋はやめておいた。
ただの偶然だったら困るなという思いもあり、2万円だけ財布に入れて出かけることにした。
腹が減ったのでポケットの諭吉とともにショッピングモールまで歩いていくと、宝くじの看板が目に飛び込んできた。俺は運試しだと思って入っていった。
まだジャンボ宝くじは売っていなかった。あったら即買っていただろう。
さすがにこれは当たらないだろうと思ったが、ただ、削るだけのスクラッチが3回続けて当たってしまった。
売り場のおばちゃんは信じられないというよりも、見てはいけないものを見てしまったような顔で俺を見ながら、カネを渡した。
俺はロト6のカードを適当に記入しておばちゃんに1枚渡し、カネを払って受け取って売り場を出た。
背後から当たりますようにという声は震えていた。
俺も信じられんかったけど、諭吉を拾って以来、カネのほうから俺のところにやってくるようになったのは事実だった。
ここまでツイてると気味が悪いな、まだ、酒が残ってふわふわしていたので、フードコートに行ってリンガーハットで長崎ちゃんぽんを食った。
たったの3日で人生最後のツキを使い切ってしまったのかなあと思いながら、麺をすすっていると女が近づいてきた。
今日は夜勤なのというと勝手にテーブルを挟んで座ってしまった。
あの看護師だった。
ギャンブルで大勝ちしてたので約束はすっかり忘れていた。
急だったので不意を突かれて、今日はカメラ持ってないからと言うと「じゃあ、今度都合のいいときに連絡してよ、いつでもいいから」と言われたので驚いた。
「いつでもいいから」だと? 女もOKなのか?OKでいいのか?
俺はちょっと興奮した。
でも、女は立ち上がると今日は夜勤で時間が無いからと言って、手を振ってさっさと帰ってしまった。
そういや仕事も女のこともあぶく銭が入ったおかげで、すっかり忘れていたっけ。
よくよく考えたら仕事用のカメラはトランクに入ってたからアウトだよなと今頃になって思い出した。というか仕事用の機材は全滅だろうなと思った。
しかし、間抜けだな俺。
バクチで儲けたカネも機材買いなおしたら一瞬で無くなるわ。
そう思うと酒が抜けてきた。
舞い上がっていた感情が落ちてきて、事故の日を思い返したら、テンションが下がった。
痛み止めを飲んで、帰り道を歩きながらカネがいくらいるかなと考えていた。
でも、肩が痛くて腕が上がらないのでカメラはムリだなとも思った。
家に帰ると保険の手続きをして、書類を書いていたら落ち着いてきた。
ふとロト6が当たったら何の心配もないよなと頭をよぎった。ありえんけど。
俺はポケットから失くさないように諭吉を出して、ロト6の券と一緒に財布にしまってテーブルの上に置いた。
仕事の足の車も機材も無くなってしまったので、動けないしやることもないなと思った俺は久しぶりに自分のWEBサイトを覗いた。
しかし、仕事は一つも入っていなかった。
ギャンブルと女は良くて、仕事はダメ?うーん何なんだろう?
ちょっと俺は混乱したが、こんな運が長く続くわけがないと結論付けた。
だいたい運が悪ければ死ぬような事故をやったのを考えたら、プラマイ0じゃねえかと思ったのだ。
ケガも治らないし、ギャンブルもちょっと休もうかと思った。
夢は全然見なかったので、諭吉も去ったのだと思っていた。
月曜日になったのでインターネットでロト6の結果を見るとなんと当たっていた。
1等が2口で6400万円だ。
また奇跡が起きた!偶然じゃない!しかし夢のようにしか思えなかった。
俺は着替えて出かけることにした。
マンションを出てテンションマックスで歩いていると交差点で赤信号が点滅していたので、急いで渡ろうとしたら、財布が尻のポケットから落ちてしまった。
俺が財布を慌てて拾おうとした瞬間、背後からトラックが突っ込んできた。
どーん、俺は吹っ飛ばされた。一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐに車に引かれたことは理解した。痛みはあるが、体は動かなかった。
うわあ、血まで出てる!でも、ぜんぜん体が動かない。なぜ?
トラックの運転手が駆け寄ってきて、ぴくりとも動かない俺を見てすぐに救急車を呼んだ。
すぐに救急車は到着したが、救急隊員は俺に話しかけても反応がないので、慌てて病院に搬送することにしたらしい。
だが、意識ははっきりしていた。
病院に着くとすぐに手術だという声が聞こえてきて、おれはそこで意識を失った。
何時間経ったのか分からないが、俺が目を覚ますといろんな管が体に繋がれていた。
意識が戻ったことを伝えようとするが言葉がと言うよりも声が出せなかった。
首も動かないし、体全体の感覚が無かった。
目に入ってくるものをじっくり見ていたら、俺は植物人間になっていたらしいことにようやく気付いた。
病室には叔父さんがいた。
看護師が様子を見に来た。どうやら点滴を交換するらしい。
「こいつ、もし老後とかで自分が動けなくなったら尊厳死を選ぶとか言ってたんだけど、この若さでそうなるとは思わなかっただろうなあ。」と叔父さんは言った。
「もう2週間か。国道の事故さえなきゃ無事だったのに」え?
俺は耳を疑った。
その後、ときどき耳に入ってくる情報を総合してみると、どうも俺はあの最初の事故のときに脳の損傷と頸椎をやってしまって植物人間になってずっと意識が無かったらしいのだ。
事故で車の外まで投げ打されたようで、その時に脳も損傷したらしい。
なぜか、いつもしているはずのシートベルトはしていなかったらしいのだ。
カネに気をとられていたせいかな.....
助かったのが不思議だよと叔父さんは言っていた。
夢、そうあれはすべて意識が無い間、見ていた長い夢だったのだ。
というか俺の安い願望だったのかもしれない。
今は意識があるが相手に伝える手段が無い。どこも動かせないし、何も感じないのだ。
モデルになると言ったと思っていた女は、俺の世話を定期的にしてくれる看護師だった。
そして、ずっと諭吉だと思っていたのは担当の医者の顔だった。
でも、今は福沢諭吉には見えなかった。
というか医者の顔はぜんぜん諭吉に似ていなかったのだ。
意識が混濁しているときに顔を見て、勘違いしていたようだ。
「ずっと、このままなんですかねセンセイ」と叔父さんが聞いた。
医者は「そうでしょうねえ、脳は動いているみたいですが意識が戻るのは難しいかもしれません。」とだけ言った。
2人は病室を出て行った。
そうして時間だけが過ぎていった。
俺の意識は、はっきりしていたが、まぶたすら動かせなかった。
現状を理解した俺はすぐにあきらめた。
もう終わりだ。死にたいけど死ねないし最悪だな。
でも、時間が経つとそんなことさえも考えなくなった。
今考えると思考停止だったのかな。考えるとつらくなるので、脳が考えることを断固拒否したようだった。
そんな ある日、目を覚ますと俺は体が自由に動かせるのに気がついた。
ちゃんと感覚もある。
治ったのか?いや、そうではなかった。
どうも、俺は死んだらしい。意外にあっけなく人生が終わったなと思った。
俺の遺体は叔父さんの家にあったというか、気がついたら幽体離脱したように俺はそこにいたのだ。
お通夜では焼香の客は少なかった。
もともと友達も少なかったし、俺の家族はもう残っていないということもあった。
その晩お客が帰ると叔父さんは俺の生命保険の証書を取り出してきて見ていた。
ぽつりと叔父さんはつぶやいた「3500万円か。クズだったわりにけっこう堅実だな。あのマンションもっと探したら他にも保険でてくるかもしれんな。」
え?
マジか、もしかして俺、殺されちゃったの?見えていないのか?
意識が無かったからって、ひでえな、ゲスいな叔父さん。
そして俺の体は埋葬された。
うん、もちろん、しっかり焼かれちゃったけど、成仏できないみたいだった。
骨もお墓に入ったし。
こういうカタチで死ぬ運命だったとは思わなかったけど、叔父さんを恨むような気持ちはなぜか湧いてこなかった。
死後の世界。霊界。
人間は死んだら終わりで、そんなものはないと思っていた。
不思議だったが俺はその世界を彷徨っていた。天国でも地獄でもない空間だった。
俺の存在は、普段はまったく誰も気づかないのだが、ごくたまに感知する人間がいることに驚いた。
「ここなんかいるわ」「すごく嫌な空気だわ」とか俺のほうを見てにらむわけ。
アイツらの頭がおかしい訳じゃなかったんだな。俺は面白いので、そこにいる人間の反応を見てはいたずらした。ポルターガイストってやつだ。
退屈しのぎには持って来いだった。
動物も敏感でちゃんと見えているようだった。
よくカラスと犬には吠えられたっけ。
死んでからは時間という概念が欠落したので、今がいつかも分からないが、たまに人の家の中に入ってカレンダーやテレビを見ると、とんでもなく時間が進んでいた。
よく放浪すると、時々同じような存在にも遭遇することもあったので、話をすると成仏できないとか言っていた。
ただ、この世に未練があるからとか恨みというか怨念が消えないからとか、そういったこととは関係が無いようだった。
寿命が尽きてさあ、家族に看取ってもらって幸せな死に方だったんだよねー、でも、なんで天国に行けないんだろう?というヤツもごろごろしていた。
その中にはどう見ても坊主もいたのが不思議だった。
ふざけて涅槃ってナニ?とか言うとだいたい逃げられた。
その一方で、借金地獄で一家心中ていうか家族を殺して自分も自殺したんだけど、地獄にも落ちないしラクになっちゃったわなんてのもいた。
何なんだ?この世界は?俺は随分長い間、理解に苦しんだ。
この世にもあの世にも神様なんていないのか?
俺は、お寺や教会、神社なども生きているうちは、あまり行けなかったので、観光で行ってみたが何もなかった。
というかそうした神々しい存在には、ついに出会わなかった。
まあ、そんなわけで俺はいわゆる幽霊になったわけだが、ある日、急に自分の意思とは関係なくどこかへと流された。
久しぶりに意識を失って気がつくと病院にいた。
何だ?このガラスの箱は。
知らない女性が真上から俺をながめて目を細めている。隣にいる男は誰なんだろうか?
「生まれてきてくれてありがとう」はあ?言ってることが分からねえ?
生前は輪廻など信じていなかったが、なぜか気がつくと俺は赤ん坊になっていた。
ダライ・ラマみてえだな、しかも女の子だ。
ずっと地縛霊というか幽体だったのに何でだろう?と思ったが、また意識を失った。
新しい体が手に入ったと同時に俺の過去の記憶はどんどん消えていった。
ああ、再び生き返るまでの順番待ちだったんだな。俺は素直に納得したよ。
こうして俺は生き返ったのだが、生まれてまだ1カ月しか経っていないので、自力では動けないし、体がやけに重い。
人が信じようと信じまいと勝手だが、俺はこうやって世界は回っているのだなと母になった女性の乳房に食らいつきながら、しみじみ思ったのだった。
終わり
ⓒなかさだ2016